2013年12月2日月曜日

四天王寺

四天王寺は聖徳太子が物部守屋との戦いに際し
四天王に祈願したことに始まるといわれています。


主要伽藍が整ったのは7世紀中頃と思われる
現在の伽藍は昭和の建設
四天王寺式伽藍配置(講堂・金堂・塔・中門が一直線上に並ぶ)



石の鳥居(重文)(日本最古らしい)
1294年忍性により木造から石造りに改められたという
 
なじんでいて違和感がなかったのですが西大門前に鳥居があります。

発心門と言われ、彼岸の中日には太陽がこの鳥居の中心を通って沈むという。

極楽浄土の入口だそうです。

ちなみ吉野の金峯山寺の銅の鳥居、宮島の木の鳥居と共に
日本三鳥居だそうです。


毎月21日(弘法大師忌日)・22日(聖徳太子忌日)には市が立ちます
 

たまたま行った日が21日だったので市が立っていて人出も多くて驚きましたが
もっとびっくりしたのは市の日は拝観料が無料だったということ。

数年前に来た時は拝観料払ったのにいらなくなったんだなあと思っていましたら
帰って四天王寺のことを調べていたら、実は普段は拝観料(大人:300円)がいる
そうです。ラッキーだった~

中門



『日本書紀』には、593(推古元)年難波荒陵に創建開始が記されていますが
『上宮聖徳太子伝補闕記』(※)には玉造の東岸から荒陵村へ移したという
記事があるそうです。

『日本書紀』の崇峻天皇即位前紀587年に丁未(ていび)の変(物部守屋vs蘇我馬子)後に
摂津国に四天王寺を造るという記事があることから、この四天王寺が荒陵に移された
のではという見方もあります。

丁未の変で勝ったお礼に四天王寺を建てたのではなく、物部守屋の鎮魂の為
という説もあります。

物部守屋の本拠地に渋川寺跡というのが見つかって、実は守屋は排仏派ではなかった、
丁未の変が崇仏or排仏の争いというのは違うのではと思われ、一層鎮魂説が優位に
思われます。

四天王寺の太子殿の後ろに守屋祠というのがあるとのこと。全然知らなかった;

元四天王寺のあった玉造の地は守屋の所有地で、森ノ宮の地名は「守屋の宮」から
きたという説まであって面白いです。

しかし、鎮魂で四天王という仏教の四守護神を祀るというのは珍しい感じがします。

四天王寺がこんなに謎めいたお寺だったとは。


※膳臣の家記にもとづいて記したという聖徳太子の伝記。平安時代初期の成立。





中は登って最上層から外が見えます
ラセン階段で結構しんどかったですが;

東大門




宝物館の前に茶臼山古墳出土と言われる長持形石棺の蓋があります。




亀井堂東の小溝にかかっていたとのこと


隣りは鳥居の笠石(鳥居の最上部の石)



ヒビが入っていますが立派です
模様なし




本坊庭園

四天王寺の北側にある庭園です。

拝観料 大人:300円
(市の日でもこちらは無料になりません)
奥の建物は五智光院(重文)

実は行く前に茶臼山古墳出土と伝わる石棺蓋のことを調べていたら
本坊庭園に石橋としてあるという記事をいくつか見たので行きましたが
受付の人も中にいた人も宝物館前のものしか知らないとおっしゃって
いました。

全く石造物に素人の私の目には、庭園に使われている幾つもの石橋は
石棺蓋の再利用とは全く思えませんでした。
宝物館前にあるものは前は本坊庭園にあったという記事もみかけたので
同一のものなのでしょうか。


 



礎石がいくつか見えました
八角亭 (登録有形文化財)
明治36年今の天王寺公園で内国勧業博覧会で開催された
その時の建築物を移築
 
湯屋方丈(重文)
1623年 徳川秀忠により再建
方丈とは住職の居室

四天王寺の北の方は太平洋戦争の空襲からも焼け残った所だそうで
庭園は都会とは思えぬ静かな所でした(他に誰もいませんでした;)。

四天王寺と茶臼山古墳の謎はいつか解けるのか、楽しみです。



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