2013年8月23日金曜日

百舌鳥古墳群6~乳岡古墳

百舌鳥古墳群で最古の古墳とされる
乳岡(ちのおか)古墳

このあいだ現地説明会のあった長山古墳を含めていない
現状の百舌鳥古墳群では最も西にあります。


北側の道路より
ライフ石津店・コーナン堺店の道向かい
サカイ引越センターが右手に見えています




関西電力南大阪営業所の西隣にあります

大きい道から関西電力と神石小学校の間の道を曲がって関西電力の敷地沿いに少し歩けば説明板などがある所へ行けます。

西側からだとかなり細い住宅地の中の道をうねうねと歩くのですが、東側からだとあっさり着けます。









4世紀後半
前方後円墳(全長:約160m) 葺石有り
後円部:三段築成 前方部:二段築成と推測される
一重の周濠(幅約32m)の埋没が確認されている


昭和47年の発掘調査により、後円部のほぼ中央土壇より
粘土に被覆された長持形石棺(和泉砂岩製か)が出土
(開けられた痕跡有り・開けずに埋め戻されたとのこと)。

周囲より腕輪型石製品(鍬形石3点・車輪石18点・不明1点)、
現在のところ百舌鳥古墳群最古の円筒埴輪出土。



堺市役所の展望ロビーに展示してある
乳岡古墳出土の鍬形石(左)と車輪石(右)の一部




佐紀陵山古墳と相似形ともいわれる和泉黄金塚古墳と
墳丘の相似形の可能性が指摘されている。
(つまり乳岡古墳も佐紀陵山古墳と相似形か)。

伝承としては「石津連祖野見宿祢墓又云乳朝臣墓乎」(『泉州誌』18世紀)
「仁徳天皇乳母」「履中天皇乳母」の墓というものがあるそうで、
乳岡というのは乳母というのからきたのか、乳母から乳岡となったのか・・・





 
後円部頂上に浄土宗乳岡山攝収院念仏寺があった
移転・売却の計画により発掘調査(S47)→史跡指定(S49)




国史跡の石碑 ↑ 
かろうじて頭だけ見えてました;





前方部は昭和初期頃までに削平される
残っているのは東端の一部でこの右側が前方部があった所
残存の後円部:径94m・高さ14m
 






一番近くに寄れた北側から
・・・ちょっと裏さびれたカンジ・・・


余談ですが、乳岡古墳の北方に亀塚という小字名があり、
『和泉志』(1736年)に履中天皇陵の近くの古墳としてあげられて
いた「龜冢」の可能性があるそうです。
いつか長山古墳のように発掘されるかもしれませんね~





より大きな地図で 長山古墳 を表示

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